令和6年の元日に発生した、令和6年能登半島地震。被災された皆さま、亡くなられた皆さま、心よりお悔み申し上げます。
地震発生から数日後、私は金沢にいる友人に連絡しました。友人は幸い無事でしたが、「実は死ぬところだった」というのです。話を聞くと、地震発生当時、友人はビルの2階につながる連絡通路を歩いて、ちょうど通路を渡り終えた瞬間、地震が起きたそうです。「地震の揺れとともに激しく物が壊れる音がして、振り返ると今まで歩いていた連絡通路が下に落ちていた。あと数秒、歩くのが遅かったら?そう考えると背筋が凍った。改めて後悔しないように生きなければと思った」と言っていました。
後悔しない生き方と聞いて思い出した話があります。10年ほど前、私がドライバーおじさんと呼んでいたご門徒さんがいました。その方はおつとめで使う「リン」を叩く棒を無くして、代わりに小さいドライバーで叩いていました。ちなみにプラスとマイナスで試したところ、マイナスの方がいい音が鳴るということで、私もマイナスドライバーでおつとめしていました。
ある年のお盆、おじさんから急に電話が来ました。「予定の日取りと違うのだけど、ちょっと病院行かなきゃならなくなったから、これからお参りしてもらえるかい?」お盆で予定がいっぱいでしたが、お参りだけならということですぐに伺いました。伺ってみるとすでに保健師さんや訪問診療の先生がいて、お参りが終わったらすぐに病院へ向かうとのこと。ただならぬ雰囲気に、私はすぐにお仏壇に向かい、「重誓偈」の短いおつとめをしました。おじさんは笑顔で一緒に手を合わせていました。「おじさん、体大事にしてね。」そう伝えて私はおじさんのお宅を後にしました。その1か月後、おじさんは亡くなりました。おじさんの葬儀の後、生前最後となったあのお参り、お盆でバタバタしながら、ただ短いおつとめをしてしまったのではないかと後悔しました。しかしある時、「重誓偈」を読んでいて気づいたことがありました。
「重誓偈」とは、阿弥陀様がたてられた48の願い、重ねてその要旨がまとめられたお経です。その中に「神力演大光 普照無際土 消除三垢冥 廣済衆厄難」とあります。これは「大いなる光を放ち、世界をくまなく照らして、煩悩の闇を除き去り、多くの苦しむ人々を広く救いたい」との阿弥陀様の願いです。
この願いを聞いた時、私はおじさんの最後のお参りの姿を思い出し、ああ良かったなと思いました。あの時、すでに苦しかったであろうおじさん。おそらく、もう家には戻れないことがわかったのでしょう。だからこそ、今お参りがほしいと願ったのです。だからこそ、後悔しないように今お念仏をいただきたいと願ったのです。しっかり手を合わせ、お念仏を喜ぶおじさんの姿を思い起こし、最後にこの「重誓偈」を一緒におつとめできてよかったと心から思いました。
後悔しない人生を送ることは難しい。だからこそ、すでに受け入れ準備万端整っている阿弥陀様を頼りとし、いつ命終えるかわからない儚い私が、今後悔しないようにお念仏申させていただく。そんな尊いお姿を学ばせていただいたご縁でした。
合掌
南幌町妙華寺 神埜卓哉