法話

おかえり

  11月18日大分市佐賀関で大規模な火災が発生しました。報道によると、170棟以上の住宅が焼損し一人の死亡が確認されています。寒風の中家を失い避難生活を送っている方が大勢いらっしゃることを想えば胸が痛みます。 帰るべき家が無い事ほど不安なものはないでしょう。帰る家があり、そこに待っていてくれる人が居てくれる事が、どんなに人生を生き抜くうえで大切なことでありましょうか。漂泊の俳人種田山頭火は「私には行くところはあるが帰るところがない」と詠んでいます。待って居てくれる人が居てこそ『帰る』と言えるのでしょう。帰るところの無い人生は寂しくて不安です。「おかえり」、なんとも温もりのある言葉だと私は思うのです。 

 私事ですが保護司に任命されてから来年で35年になります。毎年師走が近づくたびに役目上知り合ったSさんの事が偲ばれます。当時息子さんは獄中に在り、出所後の受け入れ状況を把握するため何度かSさん宅を訪問していました。Sさんが入院したと聞いたので、お見舞いに行ったのはその年の秋の頃でした。何度も覚せい剤に手を出し、今は獄中に居る息子にほとほと愛想をつかし、「息子のことは死んだと思い諦めた。退院したらボロ家を出て老人ホームに入る」と訴えるのです。同感だと思いました。息子の更生を信じて止まなかった妻にも先立たれ、自分の身ひとつ支えるのも覚束ないSさんの事を想えば、自身の幸せのことだけを考えて生きて行けば良いと、私には思えたからです。

 その後病状は一向に回復せず、年末に再び訪れた時には起き上がるのもやっとの状態でした。奇しくも明日は息子の誕生日でした。生まれた時の喜び、幼かった頃の息子と過ごした思い出等、親子三人貧しくも希望に満ち溢れていた。そんな幸せなひと時を想い起していたSさん、昨夜は一睡もすることなく朝を迎えたと言います。「保護司さん、俺老人施設に入居するの止めた」「なんでっ」と私は驚きの声を上げました。「ボロ家を出たらあいつの帰るところなくなるもんな」そう言った後、枕元にあった財布からお金を取り出し、「これで酒とケーキを買って、俺の代わりに獄中に居る息子の誕生祝いをしてやってくれないか」と無理やり私に握らすのでした。翌日獄中の彼の誕生日には、妻と私と二人でささやかにケーキとワインでお祝いしました。

 子の罪を親こそ憎め憎めども
 捨てぬは親のなさけなりけり   (鮮明)

親心の尊さ深さをしみじみと考えさせられたことでした。

 Sさんが逝ったと知らせを聞いたのは桜の散る頃でした。ついに「おかえり」と迎えることは叶いませんでした。でも私には今もSさんは、いのちのふるさと『お浄土』から「おかえり」と待ち続けていると思えてならないのです。

美唄市正教寺住職  永岡龍乗

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