法話

アルファードのお供え

 何年か前の7月、月命日のAさん宅でのこと。小学校5年生のお兄ちゃんが、いつものように私にお茶出しをしてくれた後、「あのぉ、来月お仏壇にこのアルファードをお供えしていいですか?」、そう言ってミニカーのアルファード(トヨタのワゴン車)を私に見せました。えっ、と驚いて、私はお兄ちゃんにどうしたの?と尋ねました。そうすると「キュウリやナスビよりもお父さんの大好きだったアルファードの方が良いと思って」と答えました。

 みなさんは、この子が何の話をしているかわかりますか。浄土真宗では行いませんが、他の仏教宗派では、お盆に亡き人がいわゆるあの世から帰ってくるための乗り物として、キュウリで馬を形作り「早足で帰ってきてほしい」と願いを込め、逆にお盆が終わり戻る時には、「出来るだけゆっくり戻ってほしい」と願いを込めて、ナスビで牛を形作り、お供えする習慣があります。そのことを、その子はおそらくインターネットで見かけて、それであれば、馬とか牛よりもずっと早いし、お父さんがいつも運転して慣れている、アルファードで急ぎ安全に、僕たちのところに帰って来てほしい、そう思ったようです。私は目頭が熱くなりました。その年のお盆は、前年40代で急死された、その子たちのお父さんの初盆でした。それまでも、毎月伺いそのお兄ちゃんや幼い姉妹と一緒にお参りしていて、いつもお参りが終わるとお兄ちゃんが雑記帳を見ながら、私に色々と質問をしてくれました。その雑記帳には、ひと月の間兄弟の中で思った、仏事に関するわからないことが書かれてあり、それはお母さんが、お参りのことでわからないことがあったら、住職さんに聞きなさい、と言ってたからです。「極楽浄土はみんな会えるって、いつかお母さんが往ったら、お父さんはお母さんのことをちゃんと見つけてくれるんですか。」。「仏様になっていつも来てくれているって、写真を連写で撮ったら写ったりするんですか。」、など、いろんな質問をもらっていたんです。どれほどこの子たちやご家族が、お父さんと会いたいのかは、私にも痛いほどわかっていました。


 ですから、私はお兄ちゃんやみんなにこう話しました。「阿弥陀様に救われてお父さんは仏様になったんだよね。だから、いつも仏様の極楽浄土から、みんなのところに来てくれてるんだよね。そう思っていつも南無阿弥陀仏ってお参りしてるでしょ。だからね、阿弥陀様の世界では、お盆だけじゃなくて、お父さんはいっつもみんなのところに来てくれてるんだから、他の仏様を信じている人たちみたいに、キュウリやナスビで、馬とか牛のお供えをしなくても大丈夫だし、アルファードもお供えしなくても大丈夫なんだよ。」
「でもさ・・・、お父さんいつもアルファード上手に運転してたの?」「うん(お兄ちゃん)」「アルファードカッコイイよね。」「うん(お兄ちゃん)」。
今回はアルファードお供えしてみたらいいよ。もしかして、いつもより速いスピードで帰ってきてくれるかもね。南無阿弥陀仏してね。

 必ず救う、われに任せよ。阿弥陀様のお救いは、私が浄土に往き仏となり、浄土からこの世に還(か)える救いです。仏となり、自由自在に遊ぶがごとく、この世に還えり来て、人々を救いに導くのです。死滅し、関係性は断絶する。会いたくても会いたくても、二度と会えるはずのない私たちに、生死の世界を超えて永遠に会える世界をくださるのが南無阿弥陀仏です。一緒にお念仏いたしましょう。

三笠市幾春別 真法寺 杉原真

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