法話

救急の大悲

 友人が入院したと聞き、お見舞いに行くと、無事に手術が終わり5日後に退院とのことでした。 目まいや立ち眩みが続いたので、地元の病院に診察に行くと、ここでは処置出来ないと、救急車で札幌の総合病院に搬送され、そのまま入院したとのことでした。 医師に「救急車でなければ、間に合わなかったと思います。危ないところでした。」と言われたそうで、「間に合って良かった」としみじみと話してくれました。

 しばらく話をしていると、病院の外から大きな音が聞こえたので、窓から外を見ると、ヘリコプターが飛び立つところでした。病室は4階でしたが、同じ高さにヘリポートがあり、毎日のようにドクターヘリが出動しているとのことでした。救急車やドクターヘリでなければ、間に合わない、救えないいのちがあるということを、あらためて気づかされました。

 善導大師は阿弥陀如来の救いを「また水に溺れたる人のごときは、すみやかにすべからくひとへに救ふべし、岸上のひと、なんぞ済ふを用ゐるをなさん。」と喩えておられます。 陸の上にいるものよりも、水の中で溺れるものを速やかに救う、救急の大悲であるとお示しくださいました。救急でなければ救われない、救い難い衆生を、火急のこととして案じてくださっているという事でしょう。

  阿弥陀如来の手には指の間に水かきのような膜があり「手足指縵網相」と言い、すべての衆生をもらさずすくい取り、見捨てないという摂取不捨のお心をあらわしてくださっている相です。正信偈に「拯済無辺極濁悪」とあります。「拯」とは「すくう」とよみ、落ち込んだところから引き上げて助けるという意味があります。阿弥陀如来は煩悩の苦海に沈むわたしを、すくい上げ助けてくださる仏さまでした。

 友人のお見舞いに行き、救急の大悲を想う尊いご縁をいただきました。

 

   岩見沢市 願王寺 家郷 拓

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