春の北海道。空知の空には、越冬した渡り鳥たちが、北を目指し飛んでいます。遥か数千キロ、数万キロを鳥たちは、目的地まで到着する能力には驚くばかりです。
冬になると 私のお寺の庭には、様々な野鳥たちがやってきます。スズメ、シジュウカラ 、 ハシブトガラ 、 アカゲラ 、 コゲラ 、 ヒヨドリ 、 コウライキジ 。そこに エゾリス が 来ることもあり 、白銀の景色に 「 いのちの彩り 」を与えてくれているように感じます。そんな野鳥たちですが、その寿命は2,3年しかないのだとか・・・。そのこと知り、儚さを覚えつつも、さえずりの響きや、空高く飛 ぶ 姿 、 一生懸命 に 餌をついばんだりしている 様子は、まるで 限りあるいのちを精一杯輝かせている ようで、より一層胸が打たれるのです。
仏・法・僧の三宝に帰依する偈文「三帰依文」には人身受け難し、今すでに受く、仏法聞き難し、今すでに聞くと、人間として生まれることや仏の教えに出遇うことは、なかなか難しく有り難いことでると教えられます。 一方で、毎日朝目覚めるこ と、仕事をすること、食事をすること、人と出会うこと等など、「何気ない日常」を「当たり前」のように過ごしてしまっていることを知らされるような気がします。
「人生は平坦には終われない。 心が安定し穏やかな日々を送れるのは、ほんの数年である」と 以前、どなたかのお話の中で お聞かせいただいたこともあります。私自身、年齢を重ねていき、喜びや失敗、出会いと別れ、様々なご縁の中、一歩ずつ歩ませていただいて いるように思ってはおりますが、はたして自分のいのちを精一杯いきるということについて、今までどれほど考えてきたことがあった でしょうか。野鳥たちが懸命に生きている姿にわが身を
重ねつつ、阿弥陀様のみ教えの中にそのことを尋ねることの大切さを思わずにおれないのでした。
栗山町唯専寺 村上円