法話

義弟からまなぶこと

妹が結婚してはや三年。

ブラジル人の義弟ができた。

異国の地で育った彼は、私たちと文化や風習、価値観が全く異なる。

そんな彼から学ぶことがとても多い。

ある日、体調を崩した妹に代わって彼が家事したことがあり、妹は「ありがとう」と伝えた。

すると彼は「当たり前のことをしたのだからありがとうはいらないよ」といったそうだ。

かっこよすぎるぞ!義弟よ!

私だったらどうだろうか……

坊守がやってくれることを当たり前と思い込んでいる私は、一つ貸しを作ったぐらいに考えるだろう……

そんな、かっこよすぎる彼は自分の思いを恥ずかしげもなく伝えるのだ。

彼は、毎日、私の妹におぼえたての日本語でささやきます。

「愛しています」、「今日もきれいですね!」「今日も美しいですね」

聞いてるこっちが恥ずかしくなるぐらいです。

ちなみに、私の妹はひいき目に見ても至って普通です。

なぜ、毎日ささやくのかたずねてみました。

すると彼は「思いを伝えたいし、伝えれるときに伝えないと」と言いました。

もう一度言います。

彼は日本とはあまりにも環境が違うブラジルで育ったのです。

妹の結婚式のときに一週間ほどブラジルに滞在しましたが、日本と違いに驚くほどでした。

治安ははっきり言ってよくありません。

街のいたるところにスラムがあり、ギャングや拳銃を持っている人もいました。

犯罪件数は日本と比べると、殺人が36倍、強盗が420倍です。

貧困によって餓死した方のご遺体を街中でまのあたりにしてきました。

彼は、私たちよりはるかに死を身近に感じてきたに違いありません。

いつ死んでもおかしくないと感じる環境の中で育ってきたと思います。

「いつ死んでもおかしくない=諸行無常」

私なんかより彼の方が身をもって諸行無常を感じて生きてきたのではないでしょうか?

だから「伝えれるときに伝えないと」といったのだと思います。

日本という安心、安全な国にいると、それを当たり前と感じてしまいますが、私の当り前はとても恵まれていたことなんだと義弟に教えてもらいました。

砂川市西願寺 西川公平

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