法話

お念仏とともに

1,突然友人が亡くなりました。仕事中の事故でした。つい先日、昭和三十三年生まれ戌年会の新年会で、「いよいよ来年は古希だな」と話していた矢先のことで、ご家族は呆然としていましたが、私にとっても六十年の付き合いがいきなり途切れてしまいました。お互い六十歳を過ぎてからガンの手術をしたこともあり、最近は会うたびに体調の報告を行い、ともに問題のないことを喜んでいました。「またね」と手を振ったのが最後となりました。お葬式をお勤めしながら思ったことは、彼と病気の話はよくしたけれど、その先の「死んだらどうなる」「いのちの行き先はどこか」という話をせずに終わってしまったな、ということでした。今、改めて友人から、「いのちの行き先はどこか」と問いかけられているように感じています。

2.加齢黄斑変性で年に四回右眼に注射をしています。最初はドキドキでしたが今はだんだん慣れてきました。先日の注射の時、いつもの医師とは違う若い医師が担当になりました。大丈夫かなという不安が、まぶたを開いたままにする器具の取り付けの手際の悪さとともに大きくなり、治療前に失明の可能性もありますという文書にサインしたことが頭をよぎりました。注射器に薬を入れ、いよいよというところで、「では代わります」といつもの医師が来て、ホッとしました。信頼はそのまま安心となります。

3,「初耳学」という番組で所ジョージさんが「手間がたくさんかかることが愛情」というお話をされていました。たとえば、買って済ませるよりも自分の手で手間をかけることが相手に対する敬いとなる、そんな手間のぬくもりを教えてくださいました。新型コロナの後、お寺の法要行事でも、お茶はペットボトル、おときは仕出しのお弁当を買って済ませることが多くなりました。その中でも、婦人会の皆さんは、手作りの味噌と手作りの豆腐を使ったお味噌汁や各家庭から持ち寄った手作りのお漬物を準備してくださいます。そのおときをいただくと、所さんの言葉の通り、ともに手間をかけて下さるお志がとても有り難く、では私は誰にどんな手間をかけられるだろうかと考えています。

南幌町妙華寺 住職 神埜卓哉

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